狭山池の豊富な歴史情報をご紹介します。飛鳥時代に「敷葉工法(しきはこうほう)」を用いて築かれた狭山池の堤は、改修をくり返して現在まで使われ続けて来ました。
 第1ゾーンでは、高さ約15m、幅約60mの堤の断面を移築展示しています。また、堤体の下には狭山池の水を下流に通すための樋管が設置されていました。下の写真には、江戸時代の東樋(上層東樋。国指定重要文化財)と飛鳥時代の東樋(下層東樋。国指定重要文化財)が写っています。
 ※東樋については第2ゾーンのページで詳しく解説しています。

館内へ移設した狭山池の堤体の断面

①江戸時代の東樋
 板で「コ」字形に囲われたものは、江戸時代に造られた東樋(上層東樋)の取水部です。池の水に浸かっていたので腐らずに残っていました。中にある「男柱」を数人の男手で引き上げると、池の水が堤の下に埋められた樋管を通って、狭山池の北の田んぼに配られました。

上層東樋(江戸時代)の取水部

②敷葉工法(しきは こうほう)
 飛鳥時代と奈良時代に造られた堤は、樹木の小枝を敷き並べては土を盛る「敷葉工法」(補強土工法や敷粗朶工法(しきそだこうほう)とも)で造られています。盛土のすべりと崩れを防ぎ、丈夫な堤を造る土木技術です。下の写真は堤の盛土の一枚を外して、下の盛土との境にある敷葉を露出させたものです。移築している堤体の下半部、白い部分は飛鳥・奈良時代の盛土で、黒い点が横にたくさん並んでいるのは、すべて敷葉工法に使われた小枝の断面です。

はぎとった敷葉層(飛鳥時代)