明治時代以後は、国、大阪府、地元が一体となり、狭山池の改修を進めました。

○明治36~40年(1903~1907)
  西除、西樋、中樋の改修。

○大正15~昭和6年(1926~1931)
  「大正・昭和初年の改修」。慶長の改修以来の大規模な全面改修。
  中樋では、尺八樋を1段目のみ残して撤去し、取水塔を建設しました。
  また、現在の副池もこの時に造られました。


○昭和37~39年(1962~1964)
  「昭和の改修」。西堤の補強や北堤の嵩上げ・護岸工事を実施。

 狭山池は以上の改修を行いつつ運用されていましたが、昭和57年8月に西除川流域で大規模な洪水が発生したことを受けて、狭山池のダム化工事「平成の改修」が行われることになりました。