中樋は慶長13(1608)年、豊臣秀頼の命で片桐且元(かたぎりかつもと)が狭山池の大規模な改修を行った際に、改修されました。中樋と西樋は、確認されている中では国内最古となる尺八樋という形式の樋です。4段からなり、池の水位にあわせて取水口を選べるようになっています。このうち、上側の3段は大正~昭和の改修で撤去されてしまいましたが、最下段の4段目は池底に埋もれていたために残り、平成の改修で発見されることになりました。
中樋の4段目からは、取水口の両側を護岸するために使われた巨大な石材が見つかりました。これは、古墳時代の石棺と「重源狭山池改修碑」(ともに国指定重要文化財)です。いずれも、鎌倉時代に重源が狭山池を改修した際に残したものでした。



