西樋は、慶長13年に片桐且元(かたぎりかつもと)が狭山池の大規模な改修を行った際に新設された樋です。中樋と同様に、4段からなる尺八樋が造られました。また、西樋の尺八樋も上側3段が大正~昭和の改修で撤去されましたが、土砂に埋もれていた最下段の4段目だけが残っていました。西樋は、江戸時代を通じて狭山池では最大規模の樋で、狭山池の水を抜ききることができました。
本館で展示している西樋の壁板(国指定重要文化財)をはじめ、西樋の木材の接合する箇所には船大工の技術が使われていました。なお、西樋に使われている一部の船材は、慶長以降の改修で設置された可能性があります。少なくとも、西樋には船材や船大工の技術が使われたことは確かで、中樋に古墳時代の石棺等が転用されていたこととは対照的です。




