西樋銘板

名称  西樋銘板(にしひめいばん)

時代  江戸時代 慶長13年(1608)

指定  未指定

概要
 「慶長の改修」の由緒を刻んだ銘板である。干ばつで苦しんだ農民が豊臣秀頼に訴えを起こし、秀頼の命を受けて片桐且元が改修を行ったことが刻まれている。当時、文禄5年(1596)に近畿地方を襲った大地震(いわゆる慶長伏見大地震)で狭山池も被害を受けていたと考えられる。これは、「慶長の改修」前の堤に噴砂の痕跡があることから想定される。
 「慶長の改修」は東樋(上層東樋)・中樋・西樋・木製枠工をつくり、西除を改修、東除を新しく掘削、堤をかさ上げするなど、狭山池を全面的に改修する大規模な工事となった。樋の埋設工事が慶長13年2月7日から2月16日まで行ったと銘板に刻まれていること、同年12月に狭山池西側で荒れた田畑と荒れていない田畑の調査を行っていることなどから、全体の工事期間はおよそ1年とみられる。