6月2日(日)の狭山池歴史ウォークは、現在開催中の田中家文書特別公開「幻の池ざらえ-狭山藩とらぬ狸の皮算用-」とのタイアップウォークを行いました。
いつもは狭山池を一周するウォークですが、今回は「加太新田と龍雲寺」をテーマに狭山池の堤から、富田林市加太の龍雲寺を目指してまち歩きをしました。
案内は展示担当の中山学芸員です。狭山池の樋役人が住んでいた新宿と呼ばれた地域を歩きました。
かつて高野山を参詣する人々が行き交った、中高野街道・下高野街道の位置を確認。また、狭山池から東除川を追いながら水の流れも確認しました。
加太新田の開発は、狭山池を支配していた北条藩の懸案のひとつでした。「くのき平」「かうべが平」「ぐみの木平」の三つの大地を中心に計画され、現在の久野喜台、高辺台の地名の起源となっています。
龍雲寺は狭山藩士だけでなく、新田開発によって様々な地域から集まってきた人々が、この加太に拠り所として寺が欲しいとの願いから建てられました。
祈祷だけでなく、村の決め事や相談、親睦などを兼ねて加太の人々が集まる場所だったそうです。龍雲寺のご住職自ら、説明をしてくださいました。改築した時の、棟礼なども準備くださり見せていただきました。
*******************************
次回は、9月8日(日)です。テーマは「狭山池浪漫~池誕生から現在まで風景、関わった人々などを探り歩く~」※7・8月はお休みになります。
お申し込みはこちらをご覧ください。↓↓↓↓↓↓