狭山池の古い写真を見せてもらいました。
うつっているのは、当時西池尻にお住まいだった立辻さん。
写真には
「昭和29年8月8日 僕等の水泳場狭山池にて」
と書き込みがあります。
疎開のため西池尻へ来たという立辻さんは、昭和10年代~20年まで、
狭山で一校しかなかった国民学校(現大阪狭山市立東小学校)に通っていました。
夏は狭山池でよく遊び、取水塔から水が出ていくゴウゴウという音を覚えている、
取水口に吸い込まれた人もいた。
また、釣りもよくしていた。博物館にある石樋・木樋もそこらじゅうにあって、自分たちの遊び場だった。と話されます。
昭和23年ごろから北村地区へ奉公に行き、
戦後の混乱期で大変な思いをされたこと、
戦時中さやま池遊園(現さやか公園)に芋畑をつくった話、
狭山池にはしょっちゅう「どざえもん」があがり、
女はあおむけ、男はうつむけに浮くと言われていた・・など
立辻さんのお話はつきません。
今も近郊にお住まいで、狭山池をよく散歩しておられるとのこと。
この写真に写っている「大正・昭和の取水塔」は、
当時としては珍しい鉄筋コンクリート製で、
狭山池の風景を象徴する取水施設でした。
今は博物館の第五ゾーンで当時の姿のまま展示されています。
ご来館の際はぜひ、御覧ください。